プチェ(부채;団扇/扇子)の話①

ソウルの大学路で伝統工芸工房・ダムル工房を経営し、韓国宮中飲食研究院の郷土料理講師でもある李賢淑先生が毎日の生活のなかで感じた徒然雑記を日本語で紹介します。(たまに…、いや最近は結構な頻度でゴーストライターのダムル工房日記になることも…苦笑)

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プチェ(부채;団扇/扇子)の話①

プチェ03
↑ 去年の端午の日に絵が得意な生徒さんがプレゼントしてくれました。

今年のソウルは雨が降らないばかりでなく、43年ぶりの暑さといいます。そんな夏の暑さを少しでも和らげてくれ、清涼感を手軽に味わえるのがプチェでしょう。

プチェ05
↑ 実母が50年以上大切に使っているものです。

韓半島でもプチェはかなり前から使われていたようです。韓半島の祖先たちは端午(旧暦5月5日)になると、互いにプチェを贈りあいました。このプチェを辟瘟扇(벽온선)と呼び、鬼神を追い出し神を呼ぶ、あるいは天然病を追い出してくれるものと考えたと言われています。

プチェ04
↑ 細かい板片を組み合わせてつくったものです。

他にも婚礼式にかかせない道具だったといいます。新郎が初めて新婦に出会う時、白馬から降りて婚家の門前で家人を待ちます。この時青いプチェで顔を隠しました。また新婦側も醮禮廳(초례청)という結婚式を行う場所に出てくる時、手母(수모)と呼ばれる女性によって赤いプチェで顔を隠されました。つまり青いプチェと赤いプチェがそれぞれ男女の童貞と処女を表象する役割を果たしていたといいます。
※手母とは新婦の横で色々世話をする係りの女性のことです。

プチェ①20120710-001
↑ 国喪や親喪の場合はこのように絵や文字が何も描かれていない素扇(소선)というものを2年間持ち歩かなければなりませんでした。これは君父を失ってしまった者は徳のない罪人として顔を出して歩けない…という意思表示の代わりになったそうです。

このように様々な用途に使われたプチェでしたが、太宗14年(1414)になると女性がプチェで顔を隠して外出することが禁じられるようになります。その後の女性はヨンモ(염모)という頭から上半身を覆い隠す覆いを被って外出しなければならなくなりました。それ以後、プチェは妓生(기생)や巫堂(무당)という特殊な立場の女性たちが使う道具となり、彼女たちを象徴する道具に変わっていきました。
※妓生(기생)とは酒の席などで踊りや歌を見せることを生業とした女性を指し、巫堂(무당)は神をその身に宿す女性のことを指します。

プチェ①20120710-002
↑ 息子が香港で買ってきてくれたお土産です。


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